地元離れちゃうのイヤイヤ問題

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 基本的にゲーム会社というのは大都市近辺に集中しているものなんですが、一極集中といった訳でもなく、今なきハドソンなんかは札幌にありましたし、アボパやテックアーツも加入している「北海道えろげー組合」なんかもあったりして北海道は美少女ゲーム会社が多かったりします。アイレムは以前は石川県にありましたし、九州にはかなり大きなゲーム会社がいくつかあり、福岡ゲーム産業振興機構といった官民挙げての業界団体を構築しているレベルファイブやサイコネ、ガンバリオン等がありますし、アルファシステムなんかは熊本にあったりします。そんな訳で皆さんが仮に内定を頂いたとしても、故郷を遠く離れ地方または都心部へ飛ばされるということはママあったりするということは割とあるという事は覚えておかれても良いかと思われます。

 人間よほどアグレッシブでもない限り環境に変化はない方が良いと考える訳ですが、長年ゲーム業界を目指す若者を見ていると基本的には何故かイイ歳こいた兄さん姉さんよりも高卒で年若のチビっ子の方が、保守的で地元に根付いたマイルドヤンキーな就職活動を展開するような傾向があるような気がします。

 その理由は本人が保守的であるという場合もあるのですが、親や親族が遠方での就職に反対するという場合が多く、特に地元が地方である方にその傾向があるようで、僕が名古屋校に勤務していた頃、勧める会社に全て難色を示される生徒がおりまして、理由を聞くと上記のような理由があったりしました。しかし東海地方近辺で大手企業でコンシューマーゲームを制作している所なんて一社二社くらい、若しくはとんでもないクソゲーを作っている会社しか無い訳で、地元を離れるか下請け中小企業に入るか自分のやりたい仕事でない仕事をするかといった、どこかで妥協はせざるを得ないのではないかと思いますが、それを嫌がる生徒に限って実力は無かったりして、結局卒業後は前回お話した工場勤務等の底辺仕事に就く事になったりするんですよね。まあ別にいいんですけど。

 遠方での就職に反対される親御さんの中には自分のお子さんを座敷犬の様に扱い、いつまでも手元に置きたがるといった親御さんもおりまして、そういった方に限ってお子さんの将来に対して具体的なビジョンが無かったりします。入学当初はC Gでも何でも好きなコトしなさいといったような理解のある風を装っていましても、いざ就職活動時期になって遠方の企業を選択した途端ゲーム業界をヤクザかライダーと戦う悪の組織のように感じ始めまして、

 「ウチのムチュコタンを家から出すなんてとんでもない話ですわ!」

 「はっはっはっ。ンじゃどうさせます?卒業後も牛丼屋のバイトを続けさせますか?」

 といった不毛な会話を続ける親御さんを説得するのは特別病棟の介護士になったような気分になったりします。

 逆にC Gと洋ゲーが好きすぎて、より勉強&制作がしたいと考えてカナダに飛んでいってしまったという生徒がいて頼もしい限りです。僕なんかが見る限り、同じ所一ヶ所にずっと居る方よりもフレキシブルに方々に行けるような卒業生の方が大成して大きな仕事をするような気がいたします。

 人間は習慣の生き物であったりするので、なんぼ環境が変わったとしても慣れてしまえばそこで適応してしまうものだったりします。変化のない地元にいれば安心ではあるとは思いますが、それは逆に唐突な変化に対応できない人間になる可能性もあるので注意が必要でしょう。また、人間は人生においてやってくる流れや大きな力の方向性には逆らわない方が良い方向に行くのではないかと僕なんかは思います。

 僕の例で言いますと、大学と最初の就職は東北地方でして、ゲーム専門学校に採用された当時は横浜校に赴任して五年間勤務することとなりまして、そこから名古屋校へ赴任することとなりました。転勤という形になりましたが社長が僕に意向を聞く事はなく、いきなり辞令が主任を通して渡されて否が応にも行く羽目になりましたが、まあイイかと名古屋に行き、六年間勤務する事となりました。そして名古屋校閉校となりまして、やっと関東地方へ帰ることが出来るかと思いきや、社長からの電話で、

 「お前、名古屋校にいたからついでに大阪校にも行ってこい!」

とのお達しで、”笑う犬の生活”の小須田部長の様に更に西へ向かう事となりました。当時の僕は、社長に何かしたのかと思ったのですが、そうではなく単純に人員のいない大阪へ転勤する東京校の講師がおらず、言われるがままの僕に白羽の矢が立ったと後に主任から聞かされました。

小須田部長

 しかし、その転勤していった方々で知り合いも増えまして顔も広がりましたし、大阪なんかでは銅版画の工房に出入りするようになり、関東地方に帰ってきた今でも版画制作に勤しみ自分の表現手法の一つになってしまっておりますので、人間万事塞翁が馬とはよく言ったものです。ちなみに大阪の銅版画工房では、全くヤル気は無くて見学だけさせてもらおうと思って訪ねたところ、そこの先生に

 「今忙しいから下絵と入会金持って一ヶ月後にまた来てね。」

と、既に入会決定で話を進められまして、ああ俺、版画勉強するんだ。と他人事のように思った記憶があります。

 なお、大阪転勤を断った講師の方は解雇になったそうです。それが幸せか不幸かは本人が決める事ではあるので僕には判断は出来ませんが、とりあえずやって来る事象に対しては、NOから入るのではなくYESから入るというのも人生を面白くする手法なのではないかと思います。

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